[編集] 歴史
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脱毛
[編集] 電卓という言葉
計算を行う道具には、電卓以外にもいくつかの種類がある。古くからあるそろばんや計算尺も計算する道具の一種であり、電卓という言葉にはいくつかの定義域がある。
デジタル式の計算機
脱毛
計算尺は仕組み上はアナログ計算機と呼ばれる種類に属していて、電卓とは異なる。電卓は論理回路で構成されるデジタル計算機の一種である。
電子式の計算機
電卓は真空管、トランジスタ、集積回路などで構成された電子的な論理回路で計算を行う。電子式計算機が登場する以前にも、すでに機械式計算機やリレー式計算機が登場していた。機械式計算機には、例えば歯車で構成された手回し式の計算機や古い時代に店の会計計算に使われていたキャッシュレジスターなどがある。
卓上計算機
育毛剤
現在(2000年代)では電卓というと手のひらサイズの計算機というのが一般的なイメージになっているが、トランジスタ式電卓が登場した1964年には机の上におけるぐらいの、(当時としてはコンパクトな)計算機のことを指していた。その大きさは1990年代のデスクトップパソコンかそれ以上の大きさで、重量も20-30kgもあるものもあった。また、電卓よりも先の1940年代に登場した初期のコンピュータも卓上サイズではない大型の電子計算機の仲間で、その装置の規模は倉庫一個分や事務所の部屋一室分もあった。
育毛
[編集] 電卓の歴史に関するトピック
電卓の歴史の中で重要と思われる点として、以下のものがある。
電卓の発展がトランジスタからIC、ICからLSIへと至る半導体の発展の歴史と歩調を合わせる形で進行した。
同時に1960年代後半から1970年代前半にかけて、電卓戦争と呼ばれる激しい価格破壊と技術革新による競争が、日本を主戦場として海外市場をも巻き込みながら発生した。
従来は、軍事・宇宙産業の需要や高価なコンピュータ向けの需要が中心であったICに膨大な民需をもたらし、半導体産業を一段と発展させるとともに、日本の半導体技術の向上にも影響を与えた。
電卓戦争の過程で、世界初のマイクロプロセッサであるインテル i4004が誕生した。
液晶や太陽電池が本格的に商業的に実用化された(シャープ)。
電卓の発展がその後の電子辞書や携帯情報端末(PDA)に代表される携帯情報機器へとつながった。
1960年代に登場した電卓は重量が20-30kgもある大型のものもあったが、その後、電卓を構成する部品を真空管からトランジスタ、トランジスタから集積回路へと世代交代させることで、急速にコンパクト化していった。1970年代前半には重量1kg程度で電池駆動も可能な電卓が現れ、1980年代になると太陽電池で駆動可能なカードサイズ大の超小型・超薄型の電卓も現れる。この時期はちょうど半導体産業が発展していく時期とも重なっている。
また、部品を小型化・高集積化することはコストを下げる効果もある。初期には軍事用など特殊な用途にしか使えなかったものも、次第に企業の業務用にも使えるものになり、さらには一家に一台、個人に一個という具合に身近に利用することのできる道具となった。この循環は、コンピュータや現在のパソコンにも作用している大きな要素である。
i4004はインテルがはじめて製作したマイクロプロセッサでもあり、その後、同社が製作したCPUはパーソナルコンピュータの中心的なCPUとして世界に大きな影響を与えることになった。i4004を用いた電卓は計算を行うプロセッサ、メモリ、プログラムを格納する ROM、入力部であるキー、出力部である電子表示装置からなり、システム構成で見ると、その後登場するパーソナルコンピュータと共通する要素を多く含んでいる。マイクロプロセッサを用いた電卓は、計算に特化した専用のLSIを用いるのではなく、汎用のCPUとアプリケーションである計算プログラムによって計算機の機能を実現している点で従来の電卓とは異なる。1971年に電卓市場に価格破壊をもたらした米テキサス・インスツルメンツ(TI)社製マイクロコントローラTMS-0105も、同様の考え方で作られている。こちらは組み込みマイコンの初期のものである。
この意味では、電卓はそれまでコンピュータに縁のなかった人々が初めて身近に手にしたコンピュータ製品であるという側面も持っている。
[編集] 電卓より前の時代 - 1950年代
電子式卓上計算機が登場するよりも前に、すでに以下のような計算機が存在した。
機械式計算機
手動式:手回しで機械を動かすことで計算する。タイガー計算器、クルタ計算機などがある。
電動式:手回しの代わりに電動機で機械を動かすことで計算を行う。
電気式計算機:リレーを使用する。機械式の中に含むこともある。
電子式計算機:1940年代に登場した黎明期のコンピュータの中にはプログラム内蔵式ではない大型の電子式計算機も含まれる。
1957年 カシオ リレー式計算機 14-A
[編集] 電卓の登場 - 1960年代前半
キヤノンcanola161 福山自動車時計博物館所蔵 2005年8月撮影
シャープMICRO COMPET 福山自動車時計博物館所蔵 2005年8月撮影
1960年代に登場した電卓は、重量が15kgから20kg以上、消費電力も50Wから100Wを超える大型の卓上計算機だった。また、当時の物価からすると電卓はまだ高価なもので、1964年頃の製品は車1台分の値段だった。電卓は、1970年頃までは主に企業向けに販売された。1970年頃から激化した電卓戦争により価格が急激に下落し、個人でも手にすることのできる製品となった。
1963年 - 世界初の電卓 Anita Mark8(英Bell Punch and Sumlock-Comptometer)
真空管式の電卓。日本のメーカーが電卓を開発するきっかけとなった。
1964年 - 日本の電卓元年。
シャープ(早川電機)がオールトランジスタ式の電卓 CS-10Aを発売した。商用化された製品としては世界初。1964年6月から発売され、価格は535,000円で当時の車1台分ぐらいとされている。現在のテンキー式の操作とは異なる。また、同時期にソニーがオールトランジスタ式の電卓 MD-5 を試作公開している。世界初という表現については、どこを捉えるかで意味が変わってくるので注意が必要である。やや遅れて1964年秋にキヤノンもトランジスタ式の電卓 Canola 130を製品化している。初期の電卓は現在とは異なる独特な操作方法が用いていたが、こちらはテンキー方式を採用し、現在に近い操作性をもっているのが大きな特徴である。また、大井電気もパラメトロン方式の電卓を商品化している。
1965年 - シャープとキヤノンの2強時代。
やや遅れてカシオも電卓市場に参入した。
1966年7月 - 日本計算器販売(1970年ビジコンに社名変更)、Busicom 161発売、298,000円。
電卓市場に価格破壊の第1波をもたらす。ビジコンは電卓の風雲児として名をはせることになった。その後も洗練されたポータブルなポケット電卓を登場させたり、インテル i4004の開発にも関わるなど、異彩を放った。
[編集] ICの採用、LSIの採用 - 1960年代後半
1966年 - IC を一部採用した電卓が現れる。
電卓の価格引下げと小型化には従来のトランジスタとダイオードを用いた製品では限界があり、ここで IC が注目されることになった。IC を採用することで、部品点数を減らし、コストを低減することが可能になった。このようにICやLSIに多くの機能を集積し、高機能化と小型化・低価格を進めていく考え方は、現在のパーソナルコンピュータでも生きている重要な考え方である。
1967年 - 米テキサス・インスツルメンツ(TI)が携帯型電卓Cal-Techを開発。
ICを使用し、重量1.28kgと従来の電卓に比べて小型化した。このときは商品化されず試作にとどまったが、1970年10月にCal-Techをベースに改良したものがキヤノンから製品化された(Pocketronic)。
[編集] 価格破壊の進行 - 1970年代前半
価格の下落とともに、電卓は企業で使用される業務用計算機から個人が所有する身近なツールへとすそ野を広げていった。また、この過程で世界初のマイクロプロセッサであり、米インテル(Intel)社がはじめて製作したCPUでもあるi4004が誕生した。
1969年 - シャープが世界初のLSI電卓「QT-8D」を開発。
LSI4個、IC2個、幅135mm、奥行247mm、厚さ72mm、1.4kgで構成された(電池駆動はできない)。価格も99,800円と10万円を切ったことで、当時、爆発的なヒット商品になった。同時期はアメリカでアポロ宇宙船が人類初の月面着陸を実現した頃で、アポロ宇宙船に採用されたMOSと呼ばれる方式のLSIをQT-8Dも使用したので、「アポロが生んだ電子技術」というキャッチフレーズがついた。MOS LSIは現在でも広く使われるLSIである。このLSIの製造はロックウェル・インターナショナルが担当した。